マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を好きになる条件

 いつのことだったか――
 母に、

 ――小説を書くのが楽しい。

 と語ったら、

 ――あんたは人間が好きなのね。

 と、いわれた。

 そうなのだろうと、自分でも思った。

 その気持ちが、母には全く共感できぬらしい。
 母は大の人間嫌いである。

 それを理解するのに、随分と時間がかかった。

     *

 人間を好きになる条件は何か?

 難しい。
 一概にはいえぬ。

 が、少なくとも必要条件として挙げられるのが、

 ――人間と適度に距離を保つセンス

 だろうと思っている。

 もしかしたら、十分条件かもしれぬ。

 ここでいう「人間」とは、自分の身の回りの人間、書物や報道などで知りうる人間、抽象的な観念としての人間などである。
 それらを全部ひっくるめて「人間」とした。

 人間にとって、人間とは実に厄介な代物である。
 近づきすぎれば、嫌になるし――離れすぎれば、どうでもよくなる。
 適度に距離を保って初めて、人間好きたりうる。

 僕がみたところ――
 母には、この「距離を保つセンス」が欠けているようだ。

 たいていは離れすぎている。
 そして、ときに近づきすぎる。

(不器用だな)
 と思う。

 人間好きになれないのも無理はない。
 あれでは、単に疎ましい存在としか感じぬだろう。

 ただし――
 母が人間嫌いだったので、僕は人間好きになったのだと思う。

 もし母が人間好きだったなら――
 僕は人間嫌いになっていたかもしれぬ――

     *

 そういえば――
 先日、祖母に会ってきた。母の母である。
 生まれて初めて、長時間、一対一で話をした。

 いままで気付かなかったが――
 祖母は、どうも人間好きのようだ。

 母が人間嫌いになった経緯と関係があるかもしれぬ。