マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

缶ビールを並べる気持ち

 どうしても、やらねばならぬことがあるのに、どうしても、やる気にならぬ――
 そういうときに、どうするか?

 二十歳の頃――
 ある学者の講演をきいていて、
(なるほど)
 と思ったことがある。

 その学者は、どうしても書かねばならぬ書類があるときは、

 ――自分が大好きな缶ビールを机の上に並べ、「これを書きが終わったら飲むぞ!」と、自分に言い聞かせながら、気合いを入れる。

 といった。

(なるほど――たしかに、目の前に大好きな缶ビールが並んでいれば、やる気も出るに違いない)
 当時は、そう思った。

 が、この種の手法を、僕は一度も試したことがない。
 試すことができなかった。

(だって、目の前に缶ビールがあれば、飲んじまうよ――書いてるうちにヌルくなっちゃうし――)
 と、いうのが一つ――

 もう一つは、
(缶ビールがあるから、やる気が出るのではない。やる気が出たから、缶ビールを並べられるのだ)
 と、いうことだった。

 缶ビールは、自分のやる気が具現化したものとみるべきだろう。
 より本質的なことは、

 ――どうすれば缶ビールを並べる気持ちになれるのか?

 と、いうことである。

 このことに、その学者は何も触れなかった。

 おそらく――
 一度、缶ビールを並べてしまえば――仮に、それら缶ビールが、あるときに突然、消え失せたとしても――十分にやる気は持続されよう。

 人は、ひと度、やる気になれば、簡単には諦めぬ。

 もちろん――
 いかに集中力を持続させるかの問題は残る。

 が、これは問題の性質が別だ。

 集中力の持続が難しいときに、目の前に缶ビールなどが並んでいたら、むしろ、気が散ってしまうだろう。
 どうしようもなくなるに違いない。