マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人と唄との私秘的な関係

 人と唄との関係は、なぜか極度に私秘的である。
 人は、それぞれ、唄に固有の記憶を塗り重ねる。

 よく知られているように――
 ある唄が呼び起こす生活史は、人によって様々である。

 父の書斎を思い出す人もいれば、仲間と遊んだ夕焼けの校庭を思い出す人もいる――同じ唄なのに――

 人と唄との私秘性を端的に示す事例が、小説である。

 小説に唄を書き込むと、たいていは失敗する。
 とくに、それが昔の流行歌であったりすると、目も当てられぬ。

 人と唄との関係は極度に私秘的なので――
 作者と読者との間に深刻な乖離が生じるのだ。

 これが映画やTVなら、ぎりぎりセーフとなる。
 映像に被さる唄は、小説に書き込まれる唄よりも、遥かに生々しい。
 その臨場感が、その唄と各人との私秘的な関係を、きれいに打ち消してくれるからに違いない。

 小説が映像の真似をすると痛い目に遭う――
 その具体例が、ここにもある。