マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

男というものは

 男というものは、どうしようもなく身勝手で単純な生き物である。

 例えば、道ゆく女性をみたら――
 すぐに、性的価値があるか否かの二分法を持ち出す。
 要は、その女性が自分にとって性的に魅力的か否か、ということである。

 それだけでは、ただのバカなので――たいていの男は、別の二分法も持っている。
 すなわち、心的価値があるか否かの二分法である。
 要は、その女性が自分にとって人的に魅力的か否か、ということである。

 考えられる場合は以下の4通りだ。

  性的に魅力的である かつ 人的に魅力的である
  性的に魅力的である かつ 人的に魅力的でない
  性的に魅力的でない かつ 人的に魅力的である
  性的に魅力的でない かつ 人的に魅力的でない

 今、簡単のために、「性的に」を「S」とし、「人的に」を「P」とする。また、「魅力的である」を「ポジ」とし、「魅力的でない」を「ネガ」とする。
 すると、上記は、

  ポジポジ、SポジPネガ、SネガPポジ、ネガネガ

 の4通りだ。

 日常の生活の中で、「ポジポジ」には、ほとんど遭遇せぬ。
 それと同じで、「ネガネガ」にも、ほとんど遭遇せぬ。

 よく遭遇するのは「SポジPネガ」および「SネガPポジ」だ。
 圧倒的頻度で遭遇する。
 だから、自然と関心が向く。

 世の全ての男たちは、どちらかに分けられる。
「SポジPネガ」を得意とする者と「SネガPポジ」を得意とする者とにである。

 僕は「SネガPポジ」を得意とする――と、いいたいところだが――
 実際には、「SポジPネガ」を苦手とする――が正しい。

 苦手なのは「Sポジ」である。
「Pネガ」は何ということはない。

「Sポジ」が苦手なので――
 時々、「Sポジ」を得意とする男を羨ましく思うことがある。
 できれば、僕も得意になりたい。

 が、「Sポジ」を得意とする男の実態を知るほどに――
 さほど羨ましいとは思わなくなる。

「Sポジ」を得意とする男は、たいてい、窮屈な生き方を余儀なくされている。
 少なくとも僕にとっては窮屈な生き方である。

 どこかに明瞭な因果関係が存在するのであろう。

(まあ、仕方ないか)
 と諦めることにしている。