今朝、小泉総理が靖国神社を参拝した。
朝のニュースが伝えている。
正直、ウンザリである。
靖国神社の問題が、ここまで喧(かまびす)しいことに、ウンザリである。
が――
日本人である以上、避けては通れぬ。
ウンザリばかりもしておれぬ。
参拝後の小泉総理の記者会見をみた。
いっていたことは無茶ではない。考えに考えた受け答えと思う。
この問題は、あくまで国内問題だ。
僕ら日本人の問題である。
中国や韓国に小泉総理を糾弾せねばならぬ事情があるように――
日本にも中国や韓国の圧力を跳ね返さねばならぬ事情がある。
選挙をしたらいい。
去年の「郵政民営化」選挙と同じように――
国民の信を問うべきなのだ。それが一番すっきりする。「靖国神社是非」選挙である。
戦前、靖国神社は政府機関だった。
戦後、一宗教法人となった。
一宗教法人になった以上、国は、論理的には、靖国神社と縁を切るべきだった。
が、それをしなかった。
靖国神社との関係は済し崩し的に保たれた。
当時の状況が、そうさせた。
それはいい。
過去のことだ。
21世紀の今、僕ら日本人が決めねばならぬことは――
国と靖国神社との関係を、今後はいかにすべきか、である。
国は靖国神社との縁を切るべきか、切らざるべきか――
賛否両論だ。総意形成は無理である。
国民の多数が望む方でよい。
ちなみに――
僕は、縁を切りたいと思っている。
靖国神社とは金輪際、関わりたくない。靖国神社の過去の在り方や現在の靖国神社の歴史観は、日本国の汚点の一つと考えている。
太平洋戦争(大東亜戦争)戦没者への追悼は靖国神社と無縁で行いたい。
だから――
国にも縁を切ってもらいたい。
靖国神社との関係を、きちんと清算してほしい。
以上が僕の私見である。
が――
国民の多数が望むなら、反対側の結論も受け入れよう。
大切なのは――
ここまで拗(こじ)れたら、もはや決着をつけるしかない、ということだ。
決着をつけぬことだけが日本の伝統文化ではないはずだ。