――他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい。
という考え方が好きである。
好きなのは、歯切れの良さだ。
ふつう、「何をしてもいい」とは、いえるものではない。
が、「他人に迷惑をかけなければ」が、それを許している。
もちろん、これを苦々しく思う人もいる。
――「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」というのは、いかがなものか。
と、疑義を提示する。
そうした人たちの中には、「迷惑をかけなければ」を「実害を与えなければ」で解釈している人がいる。
そんなわけはない。
当然、
――他人に実害を与えなければ何をしてもいい。
というのは誤りだ。
例えば、職場にAV女優のヌード写真を掲示することに実害はない。
が、それをみる同僚が不快に思う可能性は高い。
よって、迷惑となる。同僚に迷惑をかけてよいはずがない。
こうしてみると、「他人に迷惑をかけなければ」というのは、意外にキツい条件だ。
「何をしてもいい」というのは、ほとんど個人の精神世界の中に限られるといっても過言ではない。
そればかりか――
精神世界の中でも自律は不可欠だと、宗教家は説く。
たしかに、いつも背徳的なことばかりを考えている分には、迷惑ではないが――
そのようなことばかりを考えているせいで、精神世界が荒廃し、知らず知らずのうちに、他人に不快な思いをさせるかもしれぬ――
だから、精神世界の中でも自律は不可欠だ、と――
一理あろう。
が、それでも――
僕はいいたい――精神世界まで自律を持ち込むのは窮屈だ、と――
少なくとも、強制されてはかなわぬ。物理世界の自律にも影響が出るかもしれぬ。
僕の精神世界は、かなり荒廃している可能生がある。
それを自覚するからこそ、そう、いいたいのかもしれぬ。
ハッキリいえば、
――他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい。
というのは、僕の生命線だ。
そういう行き方を、僕は選んでいる。
もちろん、「迷惑をかけなければ」という条件のキツさは、肝に銘じなければならぬと思っている。