国立大学の入学時期を9月にズラす案が持ち上がっているらしい。
入学前の大学生にボランティア活動の機会を与えるというのが、その狙いだろう。
もちろん、外国の大学に合わせる狙いもあるようだ。
9月に入学時期を迎える国は多い。留学生の受け入れなどがスムーズになる。
が、真の狙いはボランティア活動にあるとみて間違いあるまい。
――愛国心を育め!
といったスローガンなどが喧(かまびす)しい昨今である。
「ボランティア活動」が本当にボランティア活動を意味するのであれば、良いアイディアだ。
日本の今の制度では、大学に入るまでが大変である。
入った後で目標を失しない、生きる気力を萎えさせる大学生も少なくはない。
受験の激戦を経た若者に半年の自由時間を与え、希望者はボランティア活動に参加できるようにする――
そして、これからの自分の人生や社会の在り方を真剣に考えてもらう――
そういうアイディアなら、すばらしい。
が――
「ボランティア活動」が事実上の強制を意味するのなら、問題だ。
それでは戦時中の勤労奉仕と変わらぬ。
――やらなければ叱られる。だからやる。
では、かえって有害だ。
年長者への懐疑心を植え付けるだけである。
ただし――
こうした動きを国立大学に限るのであれば、意味はあるかもしれぬ。
税金で学ぶのだから、勤労奉仕くらいは当たり前――という考え方だ。
私立大学が対極的プランを用意すればよい。
勤労奉仕に納得できぬ受験生の受け皿となるプランである。
受験生は個々の判断で進学先を選ぶだろう。
とはいえ――
そのようにするには、今の国立大学の授業料は高すぎる。もう少し安くする必要があろう。
大学生の平均的なアルバイト代で賄えるくらいがよい。
でないと、優秀な人材は皆、私立大学に流れる。
それでは困る。
いや――
本来は、それでも困らぬのだ。
私立大学が国立大学をリードするようであればよい。そのような状況が実現するような大学制度に変えればよい。
つまり――
国立大学に偏った研究・教育政策を見直せばよい。