子供の頃、中国史の入門書を読んでいて、ある皇帝の評価に出くわした。
――治世の大半は落ち着いており、基本的には名君といって良いが、晩年は、不老不死の薬を探し求めさせるなどの奇行に走り――
(け! バカじゃねえの、こいつ!)
と、当時は思った。
(人間が老いないわけないじゃん! 皆、いつかは死ぬんだよ!)
と――
(年だけくって、そんなことも、わからなかったのか!)
と――
が――
最近は、そうもいっていられないことに気が付いた。
人間は必ず老いていく。
そのスピードは結構ゆっくりだったりするものだが、それでも、人は確実に老いていく。
この老いを実感し始めて初めて、
――不老不死
への拒み難き欲求が首をもたげてくる。
老いを実感できぬうちに、不老不死への欲求を嘲(あざ)笑うのは、浅慮というものだ。
かの肯定も、若かかりし頃には、同じように笑いとばしていたかもしれぬ。
(不老不死など、たわけたことだ!)
と――
が――
もう二度の昔の体に戻れぬことを実感したときには、笑いとばせなかった。
僕は今年で33歳になった。
客観的には、まだ老いてはいないだろう。
が、10年前の体との違いは実感せずにはいられない。
(不老不死への欲求とは、こういうものだったか)
と、理解し始めている。