マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

不老不死→不衰不滅、汎症根治→汎憂根絶

 ――患者という個体

 について、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 という目標を掲げることは、しょせん「非現実的で、やや後ろ向き」であるけれども、

 ――社会という生態

 について、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 という目標を掲げることは、むしろ「現実的で、やや前向き」であるといえる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このことは――

 一見、ごく当たり前のことに感じられます。

 

 が――

 よく考えると――

 それほど当たり前のことではありません。

 

 少し、じっくりと考えてみる必要がありそうです。

 

 ……

 

 ……

 

 その準備として――

 以下のことを確かめておきます。

 

 ――社会という生態

 にとって、

 ――不老不死

 とは、

 ――人の文明が、いつまで衰退をせず、滅亡もしないこと

 です。

 

 また、

 ――汎症根治

 とは、

 ――浮世の内憂を全て見つけ出し、根本から絶やすこと

 です。

 

 今、煩雑をさけるために、

 ――人の文明が、いつまで衰退をせず、滅亡もしないこと

 を、

 ――不衰不滅(ふすいふめつ)

 と呼び、

 ――浮世の内憂を全て見つけ出し、根本から絶やすこと

 を、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 と呼ぶことにしましょう。

 

 つまり、

 ――患者という個体

 にとっての、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 は、

 ――社会という生態

 にとっての、

 ――不衰不滅

 や、

 ――汎憂根絶

 である――

 ということです。

 

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 が、「非現実的で、やや後ろ向き」であるのに対し――

 なぜ、

 ――不衰不滅

 や、

 ――汎憂根絶

 は、「現実的で、やや前向き」である――

 といえるのか――

 

 いいかえるなら、

 ――「不老不死」と「不衰不滅」とで、何が違うのか。

 あるいは、

 ――「汎症根治」と「汎憂根絶」とで、何が違うのか。

 ということです。

 

 あす以降――

 この問題について、ちょっと考えていきます。