マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

10代の若者が考えているのか、それとも90代の老人が考えているのか

 ――不老不死

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 と、

 ――不衰不滅(ふすいふめつ)

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 との違いは、

 ――事例の数

 である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――不老不死

 ――汎症根治

 は、医療において、

 ――患者という個体

 に当てはまる概念であり――

 その事例は無数にあって――

 それゆえに、僕らは、その実現の可能性が、ほぼゼロであることを知っています。

 

 が、

 ――不衰不滅

 ――汎憂根絶

 は、自然において、

 ――社会という生態

 に当てはまる概念であり――

 その事例は1つだけしかなくて――

 それゆえに、僕らは、その実現の可能性を、正確に見積もることができません。

 

 おそらく――

 僕らが知っている自然の摂理に照らして考えれば――

 その実現の可能性は、

 ――不老不死

 ――汎症根治

 と同じように、ほぼゼロとみなさざるをえないでしょう。

 

 人の社会も、いつかは衰え、滅ぶ――

 それが、自然の摂理に適っていると、僕は考えます。

 

 が――

 その最期がいつなのか――

 

 それが、よくわからないのですね。

 

 事例を1つしか知らないからです。

 

 つまり、

 ――不衰不滅

 や、

 ――汎憂根絶

 の概念は――

 おそらく、本質的には、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 と同じですが――

 人の社会の“寿命”が、あとどれくらい残されているかが、よくわからないので――

 表層的には、必ずしも、

 ――同じ

 とはいいきれません。

 

 少なくとも、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 について――

 10代の若者が考えているのか、それとも90代の老人が考えているのか――

 それくらいの違いはあるといえます。