マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人の社会の“寿命”は、どれくらいなのか

 ――社会という生態

 における、

 ――不衰不滅(ふすいふめつ)

 や、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 について考えることに、どれほどの意味があるのか――

 という問いへの答えは――

 人の社会の“寿命”をどれくらいの長さに見積もるかによって、少し変わってくる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ……

 

 ……

 

 人の社会の“寿命”を見積もる上で手がかりとなるのは――

 当然ながら、

 ――人の社会の誕生の時期

 です。

 

 その時期は――

 2020年5月18日の『道草日記』で述べたように――

 考え方によって、だいぶ開きがあります。

 

 ざっと、

 ――1万~10万年前

 です。

 

 今――

 仮に、

 ――10万年前

 としておきましょう。

 

 では――

 人の社会の“寿命”は、どれくらいなのか――

 

 ……

 

 ……

 

 人の社会の“寿命”が――

 もし、

 ――100万年

 と見積もると――

 現在の人の社会の“年齢”は、

 ――10代の若者

 に等しいといえますね。

 

 そして――

 もし、

 ――10万年

 と見積もると――

 現在の人の社会の“年齢”は、

 ――90代の老人

 に等しいといえます。

 

 この違いは――

 決して小さくはありません。

 

 もし――

 人の社会の“寿命”が、

 ――10万年

 であれば――

 90代の老人が、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 を語るときの痛々しさを伴います。

 

 もし――

 人の社会の“寿命”が、

 ――100万年

 であれば――

 10代の若者が、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 を語るときの危なっかしさを伴います。

 

 さて――

 実際のところは、どちらなのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん、

 ――それらのどちらでもない。

 という可能性も十分に考えられます。

 

 例えば――

 もし――

 人の社会の“寿命”が、

 ――1,000万年

 であれば――

 現在の人の社会の“年齢”は、

 ――物心がつくまえの幼児

 に等しいといえるのですね。

 

 そうであれば――

 僕らが、

 ――不衰不滅

 や、

 ――汎憂根絶

 を語ることは、

 ――そもそも無理に違いない。

 との結論になります。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (人の社会の“寿命”は1,000万年であってほしい)

 と思っています。

 

 が――

 そう思う反面、

 (もし、そうなら、僕らは、まだ人の社会について十分に語る知識や洞察を手にしていないことになる)

 とも思うのです。

 

 複雑な心境です。