マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

もし、人の社会の“寿命”が10万年くらいであったなら――

 ――持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals, SDGs

 は――

 人の社会の“寿命”が100万年くらいであることを前提にすれば――

 きわめて健全な目標といえる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 もし、人の社会の“寿命”が10万年くらいであったなら――

 どうか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは――

 3日前の『道草日記』で述べたように――

 さながら、90代の老人が、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 を考えるような痛々しさを伴います。

 

 そのように考えることが、

 ――不健全だ。

 とまではいいきれませんが、

 ――「きわめて健全である」とはいえない。

 ということくらいは、いってよいでしょう。

 

 いいかえるなら――

 

 もし――

 人の社会の“寿命”が10万年くらいであったなら――

 いわゆる、

 ――持続可能な開発目標

 は、それほど健全な目標ではない――

 となります。

 

 実際のところ、

 ――「持続可能な開発目標」では生ぬるい。

 と警告を発している人たちもいるのです。

 ――いつまでも「開発」に拘っていたら、人の社会は早晩、滅ぶ。

 と――

 

 そういう人たちの主張を、僕なりの修辞で述べ直しますと――

 次のようになります。

 

 すなわち――

 90代の老人は、

 ――運動を怠けて実際の年齢以上に老け込んだりしないように、毎日、適度に体を動かそう。

 とか、

 ――どんなに軽い症状であっても、何か体の不具合を感じたら、すぐに医者に診てもらおう。

 とかいっている状況にはない――10代の若者と同じような発想で生きていける状態ではない――90代には90代に見合った養生の仕方があるのだ――

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 当然ながら――

 このような主張が広く支持を集めている事実はありません。

 

 徹頭徹尾、無視をされるか――

 

 無視はされないまでも、

 ――では、どうすればよいのか。「開発は全て諦めろ」とでもいうのか。

 と反論をされて終わります。

 

 その反論は一理あります。

 

 ――人の社会の“寿命”が10万年くらいであったなら――

 という前提は――

 あまりにも虚無的にすぎるのです。

 

 この前提を受け入れることは、

 ――ちょっと人知を超えている。

 といってよいでしょう。