マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“持続可能な開発目標”が真に目指せるのは

 ――持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals, SDGs

 の周りでは、

 ――中途半端な“全憂根絶(ぜんゆうこんぜつ)”

 と、

 ――汎憂受容(はんゆうじゅよう)

 とが混同をされている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 典型的な混同は――

 以下のような例です。

 

 ――まずは“貧困”に着目をし、SDGsに取り組みたい。

 

 ――私は“気候変動”の観点から、SDGsに取り組んでいる。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 2015年の国連総会で

 ――持続可能な開発目標

 が採択をされたときに――

 具体的な17の世界的目標(Global Goals)が示されたことは――

 4月30日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 例えば、

 ――貧困をなくそう(No Poverty)

 とか、

 ――質の高い教育をみんなに(Quality Education)

 とか、

 ――ジェンダー平等を実現しよう(Gender Equality)

 とかいった目標――

 あるいは、

 ――働きがいも経済成長も(Decent Work and Economic Growth

 とか、

 ――産業と技術革新の基礎をつくろう(Industry, Innovation and Infrastructure)

 とか、

 ――気候変動に具体的な対策を(Climate Action)

 とかいった目標です。

 

 これら17の目標は互いに独立をしているわけではなく、互いに密接に関わり合っているとみなされています。

 

 が――

 そのような密接な関わり合いに興味を向けず、ただ“貧困”だけ、とか、“気候変動”だけを取り出してきて、

 ――SDGsに取り組みたい。

 とか、

 ――SDGsに取り組んでいる。

 とかと主張をすることは――

 まさに、

 ――中途半端な“全憂根絶”

 なのです。

 

 ――持続可能な開発目標

 が真に目指すべきは、

 ――中途半端な“全憂根絶”

 ではなく、

 ――中途半端でない“全憂根絶”

 ですらなくて――

 

 ――“全憂”が“汎憂”であること

 を前提とした上での、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 でしょう。

 

 が――

 それが現実的には不可能であることは、ちょっと真剣に考えれば、すぐにわかることなので――

 次善の対応として、

 ――汎憂受容

 が目指せるのです。

 

 よって――

 例えば、

 ――まずは“貧困”に着目をし、SDGsに取り組みたい。

 と述べる代わりに、

 ――まずは“貧困”に着目をし、“汎憂受容”の方策を考えている。

 と述べたり、 

 ――私は“気候変動”の観点から、SDGsに取り組んでいる。

 と述べる代わりに、

 ――私は“気候変動”の観点から、“汎憂受容”の方策を示している。

 と述べたりすれば、

 ――それなりに意義はある。

 と、いえるでしょう。