マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

10代の若者が“不老不死”や“汎症根治”について考えるなら

 ――社会という生態

 について、

 ――不衰不滅(ふすいふめつ)

 や、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 を考えることは――

 人の社会の“寿命”が、

 ――1,000万年

 か、

 ――100万年

 か、

 ――10万年

 かで、ずいぶん変わってくる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もし――

 人の社会の“寿命”が、

 ――1,000万年

 であれば――

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 現代に生きる僕らが、

 ――社会という生態

 について、あれこれと考えることには意味がない――

 といえます。

 

 さながら、物心がつくまえの幼児が、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 について考えるようなことであるからです。

 

 では――

 もし――

 人の社会の“寿命”が、

 ――100万年

 であれば――

 どうでしょうか。

 

 そうであれば――

 さながら、10代の若者が、

 ――不老不死

 や、

 ――汎症根治

 について考えるようなことに当たるといえます。

 

 このことになら――

 そんなに意味がないとはいえません。

 

 もちろん――

 文字通りの「不老不死」や「汎症根治」について考えることには、

 ――意味がない。

 といってよいでしょう。

 

 が――

 例えば、

 ――運動を怠けて実際の年齢以上に老け込んだりしないように、毎日、適度に体を動かそう。

 とか、

 ――どんなに軽い症状であっても、何か体の不具合を感じたら、すぐに医者に診てもらおう。

 とかいった感じで「不老不死」や「汎症根治」について考えるなら――

 それは、10代の若者にとっては、きわめて健全なことです。

 

 そのような意味で、

 ――社会という生態

 について、

 ――不衰不滅

 や、

 ――汎憂根絶

 を考えるのであれば――

 現代に生きる僕らにとっても、

 ――意味がないわけではない。

 といえるでしょう。