マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分で自分を疑うこと

 同じ文章をよんでいても――

 それは――
 詩でも、小説でも、随筆でも、評論でも、何でもいいのだが――

 よむ人によって、受け取り方が違ってくる、ということが――
 どうにも恐ろしい。

 よむ人によって違ってくるだけなら、まだ、よいのである。
 同じ人であっても、よむ時期によって、受け取り方が違ってくる場合がある。
 だから、恐ろしい。

 他ならぬ自分自身のこととして経験した。

 つい1年くらいまで、
(け! なんだ、つまんねえ!)
 と思っていた文章に――
 今日――
 たまらなく感動してしまったのだ。

 いったい、どうなっているのだろう?

 もちろん、

 ――それだけ自分の感受性に幅が出てきたということさ。

 と考え、素直に喜べば良さそうなものだが――
 そうはいかぬ。

 恐ろしい。

 ――今こうして感動している自分の心が偽りの心かもしれぬ。

 と思えるから――
 恐ろしい。

 自分で自分を疑うことほど、恐ろしいことはない。

 ――去年の自分が今年の自分ではないかもしれぬ。

 と思うことほど、恐ろしいことはない。

 去年の自分と今年の自分と――
 同じ自分同士を比べてさえ、こうなのだから――

 他人と自分とが、わかりあえぬことなど、大した問題ではないかもしれぬ。

 では――
 人は何のために生まれてくるのだろう?
 わかりあうためではないのか?

 そう自問するとき、

 ――大した問題ではない。

 などで片付けるわけにはいかぬ恐怖心が、こみ上げてくる。