富山県の公立高校で、受験を控えた3年生が深刻な問題に直面しているという。
去年、必修である地理・歴史2科目を履修しそこねた結果――
この時期に、大規模な補習を受ける羽目に陥ったらしい。
このような事態を招いたのは、学校側の不注意だ。少なくとも直接的には、そうである。
カリキュラムを組む際に、もう少し注意をすれば防げたことである。
が、背景には生徒の不満があったようだ。
受験に必要のない科目を履修させられることへの不満である。受験では、通常、地理・歴史を2科目も用いることは珍しい。
今回の事態は、学校側が生徒の不満に配慮した結果のようである。
生徒の不満に配慮するのは自然なことである。配慮自体は悪いことではない。
問題は配慮の仕方である。
生徒が受験に用いない科目は教えないほうがよい、と考えたところに問題がある。
例えば――
受験で世界史を用いない生徒に、どう授業したらよいか――プロの教師なら、わからねばならぬ。
が、それが、わからなかったのではなかろうか。
だから、生徒の不満に恐れをなし、世界史を教えぬことにした。
もし、そうなら情けない。
今回の事態は学校側の不注意が招いた。
不注意自体は病根が浅い。誰にでも起こりうる。
もちろん、だからといって許されるわけでは決してないが――
一つひとつに目くじらをたてていたのではキリがない。
みすごせぬのは――
今回の事態の背景に、教師の能力不足が感じられる点である。
実際、高校生からの生の声をきく限り、その不足分は相当なものである。
英語を喋れぬ英語教師――
数学を使えぬ数学教師――
歴史を語れぬ歴史教師――
こういう教師が相応のペナルティを受けるような制度にしなければ、この国の教育は立ちゆかぬ。
このままなら――
似たような問題が繰り返されるだろう。