マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

芸の道

 芸を志すには――
 ある種の不遜が必要だと思っている。

 ――今の芸はなってない。このオレの芸をみろ!

 というくらいの意気込みなしに――
 人は、芸を志したりはせぬものだ。

 芸を志す者たちは、皆、概して痛々しい。
 その悲しみの根源に潜むのが、不遜である。

 人は、誰しも不遜などではありたくない。
 が、芸を志すには、ある種の不遜であらねばならぬ。
 それは、芸を志す者たちの業である。

 この悲しみは、芸を志す者にしか共有されぬ。
 芸を楽しむ側の者たちには、哀れみや嘲りとして知覚される。

 そこには――
 容易に越えがたい境界が横たわっている。
 芸を志す者たちと芸を楽しむ側の者たちとの境界である。

 そもそも、芸というものは――
 この世には、あってもなくても、よいものである。

 ないよりは、あったほうがマシ――あるんだから、少しは楽しんでみる――
 所詮は、その程度のものでしかない。

 芸を楽しむ側の者たちの多くは、今の芸を、さらに良くしてほしいなどとは、つゆも思わぬ。
 たいていは、今の芸で十分に満足しているものだ。
 そうした中へ、

 ――このオレの芸をみろ!

 と殴り込む。
 不遜であらねばならぬのは、至極、当然のことである。

 そのような不遜な者たちのうち――
 真に才を備えた者だけが、今の芸を、より良くする。

 他の者は、ただの不遜な者として、芸の道から弾き飛ばされる。

 けだし――
 芸の道とは、そういうものである。