芸を志すには――
ある種の不遜が必要だと思っている。
――今の芸はなってない。このオレの芸をみろ!
というくらいの意気込みなしに――
人は、芸を志したりはせぬものだ。
芸を志す者たちは、皆、概して痛々しい。
その悲しみの根源に潜むのが、不遜である。
人は、誰しも不遜などではありたくない。
が、芸を志すには、ある種の不遜であらねばならぬ。
それは、芸を志す者たちの業である。
この悲しみは、芸を志す者にしか共有されぬ。
芸を楽しむ側の者たちには、哀れみや嘲りとして知覚される。
そこには――
容易に越えがたい境界が横たわっている。
芸を志す者たちと芸を楽しむ側の者たちとの境界である。
そもそも、芸というものは――
この世には、あってもなくても、よいものである。
ないよりは、あったほうがマシ――あるんだから、少しは楽しんでみる――
所詮は、その程度のものでしかない。
芸を楽しむ側の者たちの多くは、今の芸を、さらに良くしてほしいなどとは、つゆも思わぬ。
たいていは、今の芸で十分に満足しているものだ。
そうした中へ、
――このオレの芸をみろ!
と殴り込む。
不遜であらねばならぬのは、至極、当然のことである。
そのような不遜な者たちのうち――
真に才を備えた者だけが、今の芸を、より良くする。
他の者は、ただの不遜な者として、芸の道から弾き飛ばされる。
けだし――
芸の道とは、そういうものである。