マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

そこそこの女優さん

 最近になってTVや雑誌でみかけるようになった女優さんたちをみていると――
 時々、
(あれ?)
 と思うことがある。

(僕が高校の頃のまんまで出てるよ)
 と感じることが、あったりするのだ。

 結構、嬉しかったりする。

 もちろん、実際には同じ女優さんではない。
 たいていは、全くの別人である。

 僕が高校生だったのは、15年以上も前だ。
 いくら、みられることが本職でも、15年間、同じ外見を保つことは人間業ではない。
 単に似ているだけなのである。

 その女優さんが意識して似せているのか――
 演出する人々が意識して似せているのか――
 それはわからぬ。

 あるいは――
 僕が似ていると思い込んでいるだけなのか――

 たぶん、最後の可能性が最も高いのだが――
 そうはいっても、ビックリはする。

 たとえ一瞬でも、
(すごい! あの女優さん、全然かわってないなあ!)
 と感じられることが、嬉しい。

 もちろん、こんなことはメジャーな女優さんには起こらぬ。
 一目で印象に残る個性的な女優さんにも起こらぬ。

 そこそこの女優さんでのみ起こる。
 だから、実名で例示するのは、やめておく。

 誤解のないようにいっておくと――
 僕は「そこそこ」の女優さんが好きである。
 超一流の女優さんよりも、何となく気になってしまう。

 女優さんたちの15年前と変わらぬ様子をみ、何だか嬉しくなってしまうのは――
 それが「そこそこ」の女優さんたちだから、でもある。

 自分の小説の取っ掛かりになるのも、多くは、そういう女優さんたちの何気ない演技だったりする。