マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

語るということの難しさ

 何かを、きちんと語るのは難しい。

 話し言葉にせよ、書き言葉にせよ――
 挨拶にせよ、講演にせよ――
 小説にせよ、評論にせよ――

 語っているうちに、
(これって、かなり下らないことじゃないか?)
 とか、
(他の人には、どうでもいいことじゃないか?)
 とか思う。

 ベテランの売れっ子の作家でも、同じように思うときがあるそうだ。
 経験を積めば解消される、というものではないようだ。

 自分の頭の中にあることは、一旦は外に出してみないと、ちゃんとはわからぬ。
 外に出すということは、「語る」ということである。

 が――
 かつては自分の頭の中にあったことだ。全く知らぬわけではない。
 むしろ、よく知っている。歪んだ形で知っている。

 その歪みを、語り手は「理想と現実とのギャップ」として理解する。

 本当は違う。
 頭の中にあるうちは、実は酷く歪んでいるものなのに――
 それを、きちんと認識できぬだけなのだ。

 歪みとの闘い――
 語るということの難しさが、そこにある。