――この宇宙に、もし、科学技術や政治・経済とは無縁の地球外知的生命体が存在をしているとしたら、その知的生命体は、僕らの話し言葉よりも遥かに複雑な機能を全うしうる話し言葉を用いていて、その“話し言葉”が、彼らの芸術や教養を高度なものにしているのではないか。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そのような“話し言葉”とは、いったい、どういう言葉なのか――
……
……
まずは、
――音域が広い言葉
と考えられます。
僕らが「声」としては認識をできないような音を「声」として認識をしている――
簡単にいうと――
僕らよりも遥かに高い声や遥かに低い声を出したり、あるいは、それらの声をきちんと聴き取れたりする――
ということです。
が、
――音域が広い
というだけでは、たぶん不十分でしょう。
そうした音域の広さが十分に活かされるには――
喉や耳の働きだけでなく、脳の働きも大切です。
具体的には、記憶力や注意力ですね。
例えば、数時間前に聴き取った内容と数秒前に聴き取った内容とをきちんと照らし合わせることができる――あるいは、聴き取った内容のうち、相異なる2つの内容だけでなく、相異なる3つ以上の内容をそれぞれに照らし合わせることができる――あるいは、数日間かけて聴き取った長大な内容の全てを、相応の時間、気に留め続けることができる――あるいは、数日間かけて話すべき長大な内容について、その構成を繰り返し練り直したり、その内容を実際に話し始める前に、一つひとつの表現の細部に至るまでの推敲ができたり――
要するに――
僕らが“書き言葉”で辛うじてこなしているようなことを、“話し言葉”で難なくこなせるような脳の働き――
そういう脳の働きを備えていないと、
――僕らの話し言葉よりも遥かに複雑な機能を全うしうる話し言葉
を使いこなすことはできないに違いありません。