マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

言葉の綾は2つある

 ――言葉の綾(あや)

 という語句がありますね。

 もともとは、

 ――言葉の技巧的な用法

 くらいの意味ですが――

 現代の日本語では――
 なぜか、ほとんど一つの意味でしか用いられません。

 例えば――
 友人を自分の発言で怒らせてしまったときに、

 ――まあ、そう怒るなよ。言葉の綾じゃないか。

 というときの――
 あれです。

 僕は、言葉の綾は、僕らの言語生活には欠かせない要素だと考えていて――
 かつ、「言葉の綾」は、本来の意味で使うのが良いと考えています。

 ここで明確に主張しておきたいことは、

 ――言葉の綾は2つある。

 ということです。

 言葉の綾は、話し言葉と書き言葉とでは、まったくの別物なのですね。

 ……

 ……

 言葉の綾は――
 前述の通り、言葉の技巧的な用法です。

 その技巧の実態は――
 話し言葉と書き言葉とで違います。

 そもそも――
 話し言葉は、心で瞬時に紡がれ、それが口から飛び出て、声となって、やがて消えていきますし――
 書き言葉は、心で徐々に紡がれ、それが指の動きを経て、文字となって、そこにいつまでも残ります。

 よって――
 話し言葉では、ときに過剰な修辞や粗野な断定が意義を持ちえますし――
 書き言葉では、つねに精巧かつ正味の修辞や慎重で婉曲的な断定が意義を持ちえます。

 前述の「まあ、そう怒るなよ。言葉の綾じゃないか」の「言葉の綾」は――
 あくまでも話し言葉の“綾”であって――
 書き言葉の“綾”ではないのですね。

 よって――
 例えば――
 自分のメールで友人を怒らせてしまったときに、「まあ、そう怒るなよ。言葉の綾じゃないか」というのは、なかなか通用しません。

 むしろ、その友人は――
 ますます怒り猛るかもしれませんよ。

 ――お前、確信犯だろ!

 と――

 ……

 ……

 書き言葉における「言葉の綾」とは――
 例えば――
 以下の2つの条件を同時に満たすような用法です。

  1) 誰が読んでも、ただ一通りの意味にしか解釈されえない。
  2) 1)であるにもかかわらず、誰もが興味深く面白いと感じる。

 あるいは――
 以下の2つの条件を同時に満たすような用法――

  3) 読む人によって、何通りもの意味に解釈されうる。
  4) 3)であるにもかかわらず、誰もが意義深いと感じる。

 大切なことは――
 話し言葉における「言葉の綾」――例えば、聴衆の注意を集めるために、あえて過激な修飾語を用いたり、歯切れの良さを演出するために、わざと乱暴に言い切ったりすること――とは一緒にできない――
 ということです。