マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

書き言葉・話し言葉、“知的外向性”・“知的内向性”

 ――知的外向性

 という観念と、

 ――知的内向性

 という観念との対比――

 そして、

 ――書き言葉、

 と、

 ――話し言葉

 との対比――

 について、考えています。

 

 これら2つの観念と2つの言葉との関係は――

 決して単純ではありません。

 

 例えば、

 ――“知的外向性”を担うのが書き言葉であり、“知的内向性”を担うのが話し言葉である。

 といえるわけでは決してありません。

 

 きのうの『道草日記』で、僕は、

 ――書き言葉は“知的外向性”を強める。

 と述べました。

 

 が――

 話し言葉が“知的外向性”を強めないわけではありません。

 

 そもそも――

 あらゆる言葉は“知的外向性”を強めているといえます。

 

 話し言葉も“知的外向性”を強めてはいるのです。

 ただ、その強め方が、書き言葉と比べれば、目立たない、というだけのことです。

 

 ――知的外向性

 をあえて簡単にいいかえれば、

 ――知的生命体が外界に及ぼす影響力

 となるでしょう。

 

 この“影響力”が作用をする過程で、言葉が威力を発していて――

 その威力は、話し言葉よりも書き言葉のほうが強く発する、ということです。

 

 では、

 ――知的内向性

 とは何か――

 

 ……

 

 ……

 

 純粋に字義的に解釈をすれば――

 それは、

 ――知的生命体が自己の内面に及ぼす影響力

 といえますが――

 

 では、

 ――そのような影響力とは、具体的に、どういうものなのか。

 と問われたら――

 返答に窮します。

 

 おそらく――

 定義が可能なのは、

 ――知的外向性

 のほうだけであって――

 

 ――知的内向性

 については、本来、

 ――知的非外向性

 とでも記すのが妥当なのでしょう。

 

 ――“知的内向性”とは何か。

 

 この問いに答えるのは実に難しいのです。