本気で、
――地球外知的生命体
や、
――SETI(Search for Extra Terrestrial Intelligence)
を考えるのなら、
――“科学技術や政治・経済”の縛り
から自由になる必要がある――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
この主張は――
つまりは、
――この宇宙には、科学技術や政治・経済とは無縁の地球外知的生命体が存在をしているかもしれない、ということを真剣に考える必要がある。
という主張です。
そのような知的生命体は――
いったい、どんな文明を築いているのか――
……
……
おそらくは――
芸術や教養が、僕らの文明とは比較にならないくらい高度に発展をしているか、あるいは、これから高度に発展をしていく文明――
です。
例えば――
地球上でいうところの密林や草原のような生息環境において――
知的生命体が、複雑に構造化をされた調和性のある音楽を奏でていたり、極度に抽象化をされた多様性のある理論を語っていたりする――
そんな文明です。
彼らの知性と僕らの知性との最大の違いは何か――
それは――
もちろん、
――知性の外向的な要素
の多少です。
彼らの知性には外向的な要素が少なく――
僕らの知性には外向的な要素が多い――
その違いは――
具体的に、どこに顕現をするのか――
……
……
様々な仮説が考えられるかと思いますが――
僕は、
――書き言葉
の有無に現れる――
と思っています。
裏を返すと、
――書き言葉
を要さないくらいに高度な処理が可能である、
――話し言葉
の有無――
です。
僕らの話し言葉よりも遥かに複雑な機能を全うしうる話し言葉があったからこそ――
あえて書き言葉を必要としなかった――
よって、書き言葉の体系それ自体をもつに至っていない――
そういうことです。