マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

病気の治し方

 おそらく、何事もそうであろうと思うが――
 病気の治し方への理解は、プロとプロでない人々との間で大きく異なる。

 病気というものは、大筋において、薬や手術で治すものではない。

 ――体が勝手に治すものである。

 と、プロは考える。
 薬や手術は、体が病気を治す切っ掛けにすぎぬ。

 感染症を例にとろう。
 体が病原体(細菌やウイルス)に冒され、様々な不具合が生じる――それが感染症である。

 医師は、感染症を疑ったら、抗生剤や抗ウイルス剤を投与する。
 いずれも体内の病原体を死滅させる薬だ。

 だから――
 プロでない人々は、病原体を死滅させる薬が感染症を治すと思っている。
 が、これらは、あくまで切っ掛けにすぎぬ。

 綺麗な和室を想像して頂きたい。
 これを体だとする。

 病原体は、この和室への闖入者に相当する。
 畳の上に土足で上がり込み、襖や障子を破き、花瓶を蹴倒し、掛け軸を引き千切ったりする。

 闖入者たちは、自分たちの都合だけで振る舞っている。
 畳は汚れ、襖や障子は破れ、花瓶は倒れ、掛け軸は引き千切られたまま――
 和室は、いずれ荒れ果て、使い物にならなくなる。

 病原体を死滅させる薬は、闖入者を抹殺する憲兵だ。

 当然のことながら――
 憲兵が闖入者たちを抹殺すれば、和室の様子は、さらに凄惨となる。
 闖入者たちの血飛沫や屍骸によって、和室は、さらに汚れ、荒れる。

 実際の体で起こっていることは――
 こうして汚れ、荒れた和室が勝手に元通りになる、ということだ。
 畳は自分で泥を落とし、襖や障子は自然と繕われ、花瓶は自分で起き上がり、掛け軸は自然と寄り合わされる。

 後始末の手が入る余地は、ないのである。