マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

男と女とでは

 男が女に惹かれるときと女が男に惹かれるときとでは――
 かなり様相が違うようである。

 男は、幾つになっても、ひと目惚れが中心で――
 女は、歳を重ねるごとに、どんどん慎重になっていく――
 そういう気がする。

 そういう違いを、どうこう議論するつもりはない。
 どうせ例外は、いくらでもある。

 大切なのは――
 男や女が良き出会いを果たすためには――
 この違いを、明瞭に意識することが必要ではないか、ということである。

 例えば――
 男は、女が容易に受け入れぬことを覚悟しなければならぬし――
 女は、男が理屈抜きで迫ってくることを認識しなければならぬ――というように――

 出会うときすら、こうまで違うのである。

 おそらく――
 男と女とでは、根本的な何かが、決定的に違うのである。

 人が番(つが)う理由は、唯一、生殖だけだと思っている。
 生殖を除けば、番う必然は、何もないのではないか。

 生殖は、いうまでもなく、種の保存のためである。
 遺伝子に刻み込まれた本能であろう。

 この本能に突き動かされて、人は番う。
 番わなければ、もっと幸せに生きられるのに――

 互いの違いの大きさに喘ぎながらも――
 人は懸命に番う。

 その姿は、ある意味、哀れですらある。
 男と女との諍いを見聞きする度に、そう思う。