マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

学から芸へ

 ここ5年で、僕の興味は激変した。

 興味というのは、知的好奇心の性情である。

 もっといえば――
 知的好奇心の向かう先である。

 激変の中身を、一言でいえば、

 ――学から芸へ

 となる。

「学」とは何か、「芸」とは何か――
 今さら詳述する気は起こらぬ。
 これまでの『道草日記』で、繰り返し述べたきたことだ。

 簡単にいえば――
 任意的な価値を認められるのが「学」であり、一意的な価値を認められるのが「芸」である。
 あるいは、「学」は地味で、「芸」は華美だといってもよい。
 例えば、文筆でいえば――
 作品を論評するのが文学で、作品を創造するのが文芸である。
 ただし、文筆の場合には、どういうわけか両者は、よく混同される。

「学」の一つの極みとして、数式表現がある。

 ――エネルギーとは質量のことである。

 とか、

 ――いや、質量とは異なる。質量らしきものと関連がある。

 とか――
 ゴニョゴニョいっている間に、

  E = mc2

 で片がつく。
 数式を学んだ者には、これほどスッキリした表記はない。
 そして、数式は、時間や手間さえ惜しまなければ、万人が等しく理解できる。
 その証左の一つとして、数式は、どの母語に生まれついたかには関わらず、世界中で共有されうる。

 5年前の僕は、数式至上主義者であった。
(数式で表現できぬものには価値がない)
 と思っていた。

 いや――
 厳密には違う。

 ――学に関わることで、数式で表現できぬものには、価値がない。

 が正しい。
 数式で表現できぬものを扱うなら、学にこだわってはならぬ――
 学より出(いで)よ、芸に入(い)れ――
 そうあるべきだと思っていた。

 実をいえば――
 今も基本は変わらぬ。数式の絡まぬ学など、どうでもよいと思っている。

 が――
 世の中は、その「どうでもよい学」で溢れている。

 だから――
 僕が学より出(いで)るのは、時間の問題だった。

 つまり――
「学から芸へ」とは、

 ――数式以外のものにも価値を見出す。

 ということに他ならなかった。