マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分の値打ち

 ――はい、あなたは328万円ですよ。

 とか、

 ――う~ん、あなたは850万円ではないでしょう。

 とかいわれれば、腹が立つ。

 腹は立つが――

 人の世というものは――
 こういう値打ちが、幅をきかせるところである。
 例えば、

 ――年収

 という形で、呆れるほど簡単に、自分の値打ちは割り出されてしまう。
 だから、幅をきかせもする。

 人は自分の値打ちを無視できぬ。
 少なくとも表面上は、無視できぬ。

 もちろん――
 本当のところは、無視をしたい。

 自分の値打ちは自分で決めるものであって、他人が決めるものではない――と、信じたがっている。

 が、そうはいかぬ。

 人の世で幅をきかせるのは――
 他人が決めた自分の値打ちである。
 自分が決めた自分の値打ちではない。

 ここに――
 人の値打ちの不条理がある。

 人の値打ちというものは――
 他人が決めて初めて、意味をなす。

 哀れなことではないか。
 人は誰しても、自分の値打ちは自分で決めたいと思っている、それなのに――

 自分の値打ちは、基本的には、自分のものかもしれぬ。
 が、所詮は、他人のものである。