マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

『千の風になって』が流れてきた

 夕方、街中を歩いていたら――
 秋川雅史さんの『千の風になって』が流れてきた。

 CDショップが街頭に向かって流していた。

千の風になって』は、作家の新井満さんが訳詞・作曲された唄で、原詞は作者不詳の英詞だそうである。

 昨年のNHK紅白歌合戦で演奏されたので、ご存じの方も多いに違いない。

 唄は、秋川さんの映像と共に流されていた。

 その画面の前で、ひとり――
 聴き入っている人がいた。

 40,50代の女性だった。

 家では思春期の子の母親をやっている――
 そんな感じの人である。

 が、歌声の前では、ちょっと違った。
 娘の顔になっている。

千の風になって』は、死者が語り手となっている詞だ。
 死者が生者の悲しみを癒そうとしている。

 たぶん、その女性は、親御さんを亡くされたのだろう。

千の風になって』の語り手のような親御さんだったのかもしれぬ。

     *

 僕も、5年前に父を亡くした。

 父は『千の風になって』の語り手のような人ではなかった。

 が、もしかしたら――
 父も最期は、こんな心境になっていたかもしれぬ。

 いや――
 なっていてほしい――

 そう思った。

     *

千の風になって』は、死者が生者を慰める物語である。
 が、実際には、生者の祈りだ。

 物語というものは――
 ときに、ひねくれる。

 そうやって、ひねくれるところが――
 僕は好きだ。