中学生だった頃――
当時、尊敬していた作家さんが、
――大人だって子供だったときがあったんだ!
と、ちょっと息巻いておられたのを、よんだことがある。
たしか御自著のあとがきか何かでのことだった。
御自分が創作した14歳くらいのキャラクターに対し、
――こんなの、14歳じゃない!
という批判が、やはり14歳くらいの読者から、浴びせられたようなのである。
当時、その作家さんは中年の域にさしかかっていた。
おっしゃりたかったことは、
――うるさい! 私だって14歳だったことがあるんだ! 私のキャラクターたちは、あなたの14歳とは違うかもしれないけど、私の14歳とは、そんなには違わないんだ!
ということだったと思う。
真理の一面は突いていた。
当時の僕は、たしかに、大人を一種の外国人だと思っていた。
――大人だって子供だったことがあったんだ。
という言葉には、
――アメリカ人だって日本人だったことがあったんだ。
というのと同じくらいの衝撃があった。
――こんなの、14歳じゃない!
と批判した読者も、たぶん同じような思い込みがあったに違いない。
が――
あれから20年近くが経ち――
そうもいっていられなくなったと感じる。
少なくとも僕は、14歳だった自分を忘れている。
ちょっとは覚えているが、今になって振り返る14歳の自分と14歳の自分が自覚していた自分とでは、かなり違っている。
もっといえば――
14歳の僕は、サルも同然だった。
人として考えるべきことを、ほとんど考えていなかった。
決して愉快な事実ではないが――
事実なので、否みようがない。
もし、今の僕が、
――こんなの、14歳じゃない!
と批判を浴びせられた、こう答える。
――ありのままの14歳じゃ、物語にならないんだよ!
と――
今の僕は、「等身大の少年・少女」なるキャラクター造形を、信じられない。
そういう造形が可能なのは、恐ろしく筆の立つ少年・少女だけであろう。
そして――
そういう少年・少女は全く平均的ではない。