僕たち人間は、同じ時代の同じ社会に暮らし、決して浅からぬ縁で結ばれて生きているけれども――
よく考えれば――
お互いのことは、信じられないくらいに知らないままでいる。
いつも職場で一緒になる同僚――
毎朝、同じ電車で通う同級生――
頻繁に世間話を交わす御近所様――
あるいは――
親友――
恋人――
夫婦――
あるいは――
兄弟姉妹――
親子――
ともすれば、お互いに十分にわかりあっていると誤解しがちなのだが――
実際には、そうでもない。
例えば、同僚や同級生や御近所様のプライベートなどは――
結局、本当のところは、容易にわからない。
親友にしたって――
恋人にしたって――
夫婦にしたって――
お互いの事情を完全に把握しあえるはずもなく――
一時は親密だった関係が、何かの拍子で、一気に疎遠になることだって、珍しくはない。
兄弟姉妹にしたって――
親子にしたって――
お互いの心の中まで、のぞけるはずもなく――
縁こそ切れることはないにせよ、その縁が、かえって災いし、終生、憎みあうようなことだっって、わりとよくある。
世間を見渡して、冷静に内省するならば――
それが至極当然の現実だと気づく。
奇妙なのは――
このように絶望的までに断絶しやすい人間関係が、かけがえのない宝物の一つとして、長い人類の歴史の中で、大切にされてきた、という事実のほうであろう。
例えば――
道を歩いていて、いきなり目の前に見知らぬ中年男が現れたとしよう。
「オレは貴方の子供だ」
と喚いている。
よくきくと、男は今から3年後に生まれ、2051年に41歳になっているらしい。
男はいう。
「今すぐ、この街を離れろ。明日、貴方は命を狙われる」
と――
さて――
あなたなら、すぐに、その街を離れる気になるだろうか。
僕は、
(なれる)
と思う。
いや――
(なってしまう)
だ。
そもそも、人間の縁というもの自体が――
本来、まやかしや幻の様相を多分に帯びたものだからである。