マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

文芸で茫然自失になったこと

 10代の頃に、村上春樹さんの『ノルウェイの森』をよんで、茫然自失となった夜を――
 かすかに覚えている。

 あの時のような感動を味わうことは、たぶん、もうない。

 ちょうど同じ頃――
 現代文の先生が、授業中にポツリと呟かれたことが、忘れられない。
 曰く、

 ――若い頃に京都でみた仏像は、その後、どこかに行ってしまった。

 と――
「どこかに行ってしまった」というのは、

 ――何年かたって同じ仏像をみても、同じようには感動できなかった。

 ということである。

 みたことのある仏像だったから感動できなかったのかといえば――
 そうでもなさそうだった。

 ――30代で初めてみた仏像は、10代で初めてみたどの仏像よりも、味気なく思えた。

 とも、こぼされていた。

 原因は、仏像にはない。
 自分にある。

 10代の頃の瑞々しい感性が、30代になって、永遠に失われたということである。
 あるいは――
 その喪失に気づき、遅まきながらに、慄然としたということである。

 その現代文の先生は――
 当時、50代ないし60代だった。

     *

 村上さんの『ノルウェイの森』は、いまも僕の手元にある。

 そう――
 こうして『道草日記』を書いているPCの背後に――
 その背表紙が、みえている。

 が――
 あの10代の夜以来――
 僕は、この本を一度も開いていない。

 開いてしまったら最後、痕跡までもが消え失せる――
 10代の夜に茫然自失となった記憶が、完全に忘れ去られてしまう――
 そんな気がして、あの夜以来、ただの一度も開けないでいる。