マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

時間、人、不条理

 今朝は、目覚まし時計で狙った時間に、起きられなかった。

 こんなことは久々である。

 20代前半の頃――
 前の晩に風邪薬を飲んでグッスリと眠ってしまい、目覚ましい時計の音に気付きもしなかった経験がある。

 気付きもしなかったというのが、ショックであった。

 普通は、気付きくらいはするものである。

 気付いた上で、
(まあ、いいか)
 と、眠り続ける。

 それなのに――
 今朝は全く気付かなかった。

 理由は疲労だろう。
 最近、ちょっと時間に余裕のない生活を送っている。

 ――夜、布団に入ると、即、朝だった。

 というような生活である。

 多忙は怠惰を造る。
 要注意だ。

 時間は人を冷酷に流しさる。
 一瞬である。

 余裕のない生活は、人の寿命を縮めてしまう。
 決して比喩の意味ではない。

 余裕のない生活は、生きた心地を奪い取る。
 生きた心地が奪い取られ、死んだように生きても仕方がない。

 もっとも――
 結婚をし、家庭を築き、子供が生まれたりすれば――
 そうもいっていられなくなる。

 親は、しばらくは生きた心地を奪い取られる。
 死んだように生きざるをえなくなる。

 生まれた子供が、真っ先に、かじる親の脛(すね)は――
 時間である。

 世の中の不条理は、案外、面白くできている。