(ちょっと書きたいな)
と思うことがあって――
(念のために――)
と思って、ネットで色々と調べていたら――
急に、書きたい気持ちが失せてしまった。
よくあることである。
何事も、調べすぎると書けなくなる。
物書きたちの間で、しばしば交わされる警句の一つである。
学者の書く本の多くがつまらないのも――
たぶん、その辺に理由がある。
人の頭は、本来、精緻な知識を求めてはいないのではないか。
もちろん――
過酷な世界を生き抜く上では、精緻な知識が時には必要である。
が、本来――
そうした情報は、ヒトの頭の生理になじまない類いのものではないか。
例えば、辞書や辞典を、調べもので使うことはあっても――
頭休めに使うことは、まず、あるまい。
人が字引を使うとき――
おそらく、ヒトの頭の生理に、何らかの負荷がかかっている――
――などと書くと、誰かに反論されそうだ。
曰く、
――辞書や辞典を暇つぶしに読む人がいる。あれは頭休めではないのか。
と――
たしかに、そういう人々はいる。
作家に多いタイプである。
自分の頭に負荷をかけることが、日課になっているようだ。
サッカー選手が、つい走りたくなるように――
作家は、つい辞書や辞典を読みたくなる。
が、サッカー選手の仕事がジョギングではないように――
作家の仕事も、字引を読むことではない。
字引を読むこと――あるいは、物事を精緻に調べることは――
ヒトの頭の生理が最も苦手とするところではないかと、僕は思っている。