生物種としてのヒトに、
――闘
や――
その派生である、
――虐
を楽しめる性質があることは――
生物種としてのヒトが、社会的ないし心理的な欲求の一つとして、
――闘争欲求
を備えていることの表れであろう――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
この“社会的ないし心理的な欲求”は、“生物的ないし生理的な欲求”とは違って――
純粋な欲求ではなくて――
そうした“純粋な欲求”を支持する脳の働きである、と――
考えられます。
つまり、
――闘争欲求
は、あくまでも二次的な欲求であり――
それとは別に――
この“二次的な欲求”によって裏打ちをされている“純粋な欲求”があって――
それは――
きのうの『道草日記』でも述べた通り、
――生存欲求
であろう、と――
僕は思います。
この、
――生存欲求
を、“生物的ないし生理的な欲求”の1つではなく、“社会的ないし心理的な欲求”の1つと捉える向きもあるようですが――
少なくとも動物に分類される生物種のほとんどに、いわゆる、
――生存欲求
があるように感じられますので――
ひとまず、きょうのところは――
“生物的ないし生理的な欲求”の1つと捉えることにしましょう。
……
……
以上の点に――
生物種としてのヒトの最大の特徴が凝縮されているように――
僕は感じます。
すなわち――
“生物的ないし生理的な欲求”であるところの、
――生存欲求
を裏打ちする欲求として、
――闘争欲求
という“社会的ないし心理的な欲求”があり――
そのことこそがヒトの特徴である――
ということですね。
自分たちが生き残るための手段は基本的には2つです。
――逃走
か、
――闘争
かの2つです。
つまり――
ヒトは――
自身の生存が脅かされる場合には――
概して、
――逃走
ではなく、
――闘争
に流れやすい存在である――
ということですね。
……
……
(そりゃぁ、とんでもない勢いで繁殖できたわけだ)
と――
僕は感じます。