マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

15の春、18の春

 僕にとって――
 15の春は、惜別の春であった。
 父の転勤に伴い、それまで暮らしていた千葉の街を離れ、岡山の街に引っ越した。

 千葉の街を離れたくなかった。
 関西以西は、別次元の異世界だと思っていた。

 逆に――
 18の春は、出立の春であった。
 東京の大学入試に失敗し、そのまま東京に住み着き、予備校通いの大学受験生となった。

 今にして思えば、ただ東京に行きたかった――それだけであったと思う。
 東京に行けば、何かが変わると思った。それは、京都や大阪では変わらない何かだと思った。

 どちらも滑稽な春である。

 岡山は異世界ではないし――
 東京は僕の基幹を何一つ変えなかった。

 あえて違いを挙げるなら――
 15の春は通過点、18の春は分岐点であった。

 その後の人生への影響は、15の春よりも18の春のほうが、断然に強かった。

 大人になるということは――
 未来の余地を、次々に捨てていく過程といってよい。

 僕が15の春に捨てた余地は、狭小たるものであり――
 18の春に捨てた余地は、広大たるものであった。

 15の春に捨てたのは、生まれ育った街だった。
 18の春に捨てたのは、育ててくれた母だった。

 千葉の街を出るときに、母は反対だったという。
 それを父が強引に押し切った。

 岡山の街を出るときも、やはり母は反対だったという。
 それを父が宥(なだ)めすかした。

 その父は、6年前に亡くなった。

 現在――
 母は一人で岡山に住まい、薬局を営んでいる。
 僕は一人で仙台に住まい、文筆を志している。

 母と僕とを分つ溝は、深くて広い。

 先ほど――
 15の春は惜別で、18の春は出立だといった。

 実態は違う。

 18の春も惜別だった。
 それも、15の春とは比べ物にならない度合いの、惜別である。

 その深刻さに、18の僕は気づかなかった。

 気づくには――
 父が亡くなって、なお2、3年を要した。

 大人への過程で失われる余地は、あとになればなるほどに、広大となる。

 が、その喪失の深刻さには――
 あとになればなるほどに、気づかない――気づけない。

 気づけたとしても――
 そんなに敏感にはなれないものだ。