社会は人工物だろうか、それとも自然物だろうか。
最近、ちょっと、わからなくなってきた。
以前の僕なら、
――社会は人工物だ。
と断言していただろう。
が、いまは、ちょっと違う。
まず明らかにしておきたいことは、
――人間は自然物だ。
ということである。
この命題には、たまに同意を得られないことがあって、驚く。
人間は自然物である。医学的にみても、自然科学的にみても、人文科学的にみても――自然物である。
人工物ではありえない。例えば、世の中に存在する物質を部品とし、一から人間を形作ることは、人間にはできない。
つまり、人間が人工物でありえないのは――
海洋や森林や大気が人工物ではありえないように――ありえない。
では――
その人間が作る社会は、どうか。人工物か。
人工物とは、
――人間が作った物
であるから、当然、人工物とみなすべきである。
が――
例えば、先日来の世界同時株価安のような経済動向をみていると――
社会は自然物ではないかと、ふと思うことがある。
景気などは、人間が作り出したもののようにみえ、実は、違うのではないか。
人間の自然性が色濃く反映された付属物にすぎないのではないか。
景気とは社会の一つの側面である。
その景気が自然物ならば、当然、社会も自然物であるとみなしたほうが、スッキリとする。
現時点の僕は、
――社会は自然物である。
という命題に傾きつつある。
そう考えることで、多くのことが違ってみえてくる。
経済、政治、歴史、地理――
もちろん、これらには多くの人工物が関わる。
株式市場や議員内閣制や土地制度の変遷や各種産業の分布などは人工物といってよい。
が――
これらの大本は、自然物ではないか。
人間という自然物の内面(心理)から突起した付属物ではないか。
そう思えてならないのである。