マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

論理的に考えることが

 論理的に考えることができるようになって初めて――
 非論理的な考えも受け入れられるのだと思っている。

 つまり、論理を破りたいのなら――
 論理について徹底的に学ぶのがよい――
 ということである。

 例えば、世の中の人間関係などは――
 かなり非論理的である。

 これほど論理が通用しない領分も珍しいに違いない。
 Aという人とBという人とが、互いに反りが合わないだとか、意外に合っているとかいう話ほどに、論理を超越した事象は、ないように思われる。

 にもかかわらず――
 論理に強い人ほど、人間関係に巧みであったりする。

 あるいは――
 論理に弱い人ほど、人間関係に苦しんでいたりする。

 非論理の柔らかさを知ろうと思ったら――
 論理の硬さを十分に味わうのが良いようだ。

 会話が、良い例である。

 会話は、論理でするものである。

(ウソだろ?)
 という人があるかも知れない。

 その気持ちはわかる。
 たしかに、会話は一見、論理的ではなさそうだ。

 が――
 スムーズな会話というものは、わりと論理の筋が通っているものだ。

 小説などに書くと、よくわかる。

 登場人物たちに、ちょっとした立ち話をさせるだけでも、どれほどの論理が必要か――

 だから――
 ガチガチの評論を書く人が――
 しっとりした小説を書いたりする。

 論理の醍醐味を頭から否定する人は――
 非論理の醍醐味も頭から否定しているように思えてならない。