こんなことは――
わざわざ書き出すことではないのだが――
どんな女性が好みかは――
理屈ではないのである。
そこには――
論理では説明できない要素が絡んでくる。
少なくとも――
男にとっての「女の魅力」とは、そうしたものだ。
たしかに――
自分が受け入れやすい女性というのはある。
あるいは――
自分が受け入れられやすい女性というのもある。
が、それら女性像を超越した女性に――
男は「女の魅力」を感じる。
つまり、男にとっての「女の魅力」は――
さながら、遺伝子レベルで規定されているかのようである――
ということだ。
もしかしたら――
自分のもっている遺伝情報を補完するような女性に、無意識のうちに、惹かれているのかもしれない。
が、自分の遺伝情報などは、自分では認識し難いから――
それを補完する女性の実像なども、認識し難いことになる。
まあ、生物学的な論理などは、どうでもよい。
科学的な証明は、所詮、無理である。
この際、看過できないことは――
男が、どんな女性に惹かれるかは、男の意識とは全く無関係に決定されているかのようにみえる、ということだ。
男が女性を選ぶとき――
頭で考えてはいない――考えてはいけない。
考えても、うまくいきはしない。
頭を使うぶんだけ、損である。