なんとも後味の悪い結果となった。
昨日は統一地方選挙の後半戦が投票日を迎え――
長崎市長に、田上富久氏が当選した。
有力視されていた現職の伊藤一長市長が射殺され、急遽、補充候補を募っての駆け込み選挙となり――
伊藤市長の娘婿が、補充候補として名乗りをあげたが――
やはり補充候補として名乗りを上げた田上氏に、僅差で敗れた。
田上氏は立候補するまでは、市の中間管理職にあったという。
立候補と同時に、市へ辞表を出した。伊藤市長の姻戚の立候補に違和感を覚えたそうである。
――市長は世襲制ではない。肉親の情は分かるが、自治の担い手は別問題――リーダーは市民が選ぶべきだ(産経新聞)
と語ったらしい。
が――
このコメントに、僕は違和感を覚えた。
田上氏の主張は、一見、正論だ。
が、真の正論か。
現職市長が選挙中に射殺されるなど、前代未聞の事態である。冷静な選挙は期待できない。
超法規的に選挙を延期するか、それがムリなら、せめて喪が明けるのを待って、出直し選挙を行うか、するべきであった。
そもそも、伊藤市長以外に3人の候補がいたのだ。
市長の世襲制を危惧する人々は、そちらに投票したことだろう。
わざわざ田上氏が立候補する必然はなかった。
――市長は世襲制ではない。
という主張は、未曾有の事件が招いた混乱に、ただ便乗しただけのように思える。
――チャンスだ!
と思ったから立候補した――それだけではなかったか。
もちろん、長崎市民が決めたことである。
選挙の結果は、民主主義の立場に依る限り、最大限に尊重されねばならない。
が、
――肉親の情はわかる。
と、田上氏はいった。
余計な一言である。
本当に、肉親の情がわかるなら――
遺族らが擁した候補を打ち負かし、悲痛のドン底に突き落としたりするはずがない。
田上氏は、肉親の情を踏みにじって立候補をし――
田上氏の支持者は、肉親の情を踏みにじって、田上氏を当選させた。
少なくとも表面的には、そうである。
軽々しく、
――肉親の情はわかる。
などと口にするものではない。
人の心の恐ろしさが出た。
人は、争いに直面すれば、鬼にも蛇にもなってみせる。
その性質が剥き出しになった。
――後味の悪い結果
とは、そうした意味である。