マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

選挙を大事に思う意義

 昨日は仙台市長選挙の投票日でした。
 無事に新市長が決まったのは、各種報道機関が伝える通りです。

 ところで――
 今回の選挙は、かなり盛り上がりに欠けたのですよ。

 最初は、
(自分の気のせいかも……)
 と思っていたのですが――
 選挙期間が終盤になるにつれ、多くの知人・友人が同じ印象をもっていたと知りました。

 選挙前の構図は、何ともやりきれないものでした。

 現職が金銭的な疑惑を突きつけられ、立候補を断念――
 6人の新人候補が争うことになったのですが、そのうちの2人が現職の下で働いていた副市長でした。

(なに、それ~)
 と思いましたよ。

 ハッキリいえば――
 市上層部の内輪揉めが、そのまま選挙戦に発展したかのような印象をもったのです。

 かなりシラけましたね。

 それでも――
 ちゃんと投票にはいきましたよ。

 そうです。

 たとえ、どんなにシラけてしまっても――
 投票には必ずいこうと、僕は思うのです。

 何だかキレイごとにしかきこえないでしょうが――
 その背景には、もう少しキタナイこと――もっといえば血なまぐさいこと――が隠れています。

 僕が投票にいく理由は、選挙という制度が何物にも換え難いと感じるからです。

 ちょっと空想してみましょう。

 もし、今回の選挙が、選挙という制度が確立される以前――例えば江戸時代のこと――であったなら――
 かなりの確率で、流血沙汰になっていたはずです。

 それが人道上の悪だとか、政治上の不可避だとかいう話ではありません。
 事実としてそうである、というだけのことです――そういう性質を備えた生物種が、ヒトなのですから――

 人は権力を巡って普通に殺し合うのです。
 他人にみえないところで――

 ちなみに――
 昨日の仙台市長選挙で当選したのは、2人の副市長のうちの1人でした。

 落選した副市長は、報道機関の取材に応え、

 ――くやしい。

 と心情を吐露しました。

 この「くやしい」には、何ともいえぬ凄みを感じましたよ。
 無気味でした。

 当選した副市長は、現職の政治手法を理由に、一足早く離職していました。
 落選した副市長は、現職の下に止まり続け、選挙準備が遅れたようです。

 この構図は、江戸時代なら、間違いなく流血沙汰につながったでしょう。

 例えば――
 当代の藩主に最後まで従い続けようとする後継候補は、当代の藩主から離反した後継候補を、できるだけ早めに殺そうとするでしょうし――
 離反した後継候補は、当代の藩主が落命したら、当代の藩主に最後まで従い続けた後継候補を、すぐに殺そうとするでしょう。

 人の情念を甘くみるわけにはいきません。

 ヒトは、幾つかの条件をみたせば、同一種の別の個体を、容易に殺すのです。
 少なくとも、近世以前のヒトの社会に、そういう慣習が確かに存在していたことは、歴史が教えるところです。

 そうした慣習から人々を救っているのが――
 選挙という制度なのです。

 この一点だけをとっても、現代人が選挙を大事に思う意義は十分でしょう。