たぶん、こんなことを書くと――
紳士淑女の皆さんには、強く叱られてしまうのだけれども――
穏やかに微笑んでいる女の子よりは――
不安げに周りを見回す女の子のほうが――
幾重にも色っぽくみえる――
そう僕は考えている。
例えば――
見知らぬ街で人に道を訊ねるときの脅(おび)えた表情――
店頭で酔客にからまれたときの怯(ひる)んだ表情――
いずれの顔も――
人知を越えた女の色気を放つ。
「人知を越えた」というのは、
――男の理性を麻痺させる――
といったほうが、よいかもしれない。
もちろん――
以上は、男からみての議論であって――それも、特定の性向に依った上での議論であって――
女からみた女の色気というものとは、格段に違った「魅力」であろうとは思うのだが――
とにかく――
僕は、そういう少女の不安顔にこそ、女の色気を感じとってしまう。
困った男である。
ところが――
同じ不安顔を、例えば自分の恋人や配偶者や肉親にされるのは、そんなに愉快なことではない。
だから、話はややこしくなる。
「愉快なことではない」というよりも、「かなり不快なこと」である。
自分もつられて不安になってしまうからだ。
少女の不安顔が色っぽく映えるのは、あくまで――
その不安顔の持ち主との人間関係が、十分に希薄なときに限る。
そこに、こうした性向の不健全さが凝縮される。
このように奇異に限られた状況でのみ、女の色気を感じとる男というものは――
おそらく、まともな死に方はしない。
そして――
このままいけば、僕は間違いなく、そういう男になる。
最近、そのことが実感できるようになってきた。