人の品性は、他人の失敗に、いかに対処するかで明らかになる。
他人の失敗を一方的に責めるのは問題外だが――
表立って責めることはしなくても、責める気持ちを心の内に密かに抱えていれば、それだけで十分に――
その人は卑しい人である、と断じてよい。
そういう人は、自分は失敗をしないと思っている。
そこが問題なのだ。
世の中に失敗をしない人など、一人もいない。
なのに、自分は失敗をしないと本気で思っているということは、これまでの自分の失敗に全く気づいていない、ということである。
あるいは、失敗を受け入れていない――
人の品性が関わってくるのは、その辺であろう。
すなわち、自分の失敗を受け入れるか否か、といった辺りである。
失敗を受け入れたくない気持ちは、よくわかる。
誰にとっても自分の失敗を認めるのは不快なことだ。
そもそも、失敗と失敗とはいえないこととの境界も曖昧である。
自分にとって失敗でないことが、他人にとっては失敗であるということが、しばしば起こる。
そういう場合には、何が失敗で、何が失敗でないかを論じることすら、すでに不快の極みである。
が、その不快を引き受ける覚悟が、人の品性を磨き上げる。
不快な思いをした分だけ――
人は貴くなれる――
その人が常に尊くなろうと努めるのであれば――