僕は形式的なことが嫌いである。
その形式に何か意味があるのなら、ともかく――
さして意味もないのに、例えば、
――慣例だから――
という理由だけで、履行されるというのは――
僕には、どうにも我慢がならない。
僕が最も嫌うのは、事なかれ主義なのだが――
この主義が、しばしば拠り所にするのが、
――さして意味のない形式的なこと
である。
形式的なことに何か意味があるのなら、一向に構わない。
例えば、礼節の大半は形式的だ。
が、それら形式には、意味がある。
当の相手に真心を供する、という意味である。
意味があるから、形式を全うできる。
常に、
――そこに意味はあるか?
と問い続けることが重要なのである。
このことを、わかってくれない人がいる。
――「形式的なことはしたくない」とかいって、実際には、いつも形式的なことばっかりやってるじゃん!
と、暗に批判してくる人がいる。
(意味の有無を考えてくれ)
と思う。
形式的かどうかは、本当は、さして重要ではない。
無意味でないかどうかが、重要なのだ。
とはいえ――
――実際は、いつも形式的なことばっかりやってるじゃん!
と僕に噛み付くような人は――
まだしも信用ができる。
噛み付く意志を隠さないという意志が注目に値する。
これは、少なくとも事なかれ主義ではない。
事なかれ主義が、結局は、事を大きくする。
どうにも立ち行かなくなるまで、大きくする。
そして、破局する。
日本人組織の悪癖である。
僕が事なかれ主義を最も嫌うのは――
そうした理由による。