世界は広い。
その広い世界の中で――
自分の知っている世界の、なんと狭いことか――
この極東の「日本」と呼ばれる島国においてさえ――
きいたこともないような職業の人々がいたりする。
あるいは――
想像もつかない性情の業界や地域社会があったりする。
無事に大人になれたからといって、
――だいぶ世の中のことがみえてきた。
などとは――
たとえ口が裂けても、口にしてはならないであろう。
自分の知っている世界が狭いものならば――
あれこれと世界中を駆けずり回っても仕方がない――
と考える。
諸外国を一人旅で転々とするのも――
一人で家にこもって空想に耽るのも――
本質的には差異がない。
外国を流浪するほうが、いくらか見識が深まるかもしれないが――
突拍子もない発想が示唆する日常生活への風刺の妙を思えば――
大差ないといってよい。
そう考え――
僕は、長い学生生活の間に、ただの一度も、海外旅行に出かけることはなかった。
幼少時に欧州で2年ほど暮らした経験があったことも、たぶん影響はしているだろう。
外国というところは、奇想天外な魔境などでは決してない。
大切なことは――
自分が知っている世界の一部を、外から眺めて分析する視点の獲得である。
これが目指されるのでないのなら――
諸外国を放浪しても意味はない。
――何のための放浪か?
ということになる。
自分の知っている世界の一部を、外から眺めやる――
なんと狭くて、ちっぽけな小宇宙であろうか。
が――
自分にとっては、実に、かけがえのない小宇宙でもある。
自分の知っている世界の一部を、外から眺めて分析し、得られるものは、何であろうか。
その小宇宙の唯一性を十分に享受せんと切に願う――
自然な心の動きである。
人が、自分の小宇宙を味わい尽くすのには――
優に100年は、かかるであろう。