三十歳を過ぎたからであろうか――
――アバンチュール
という言葉が――
何となく魅惑的に思えてきた。
語感ではない――
語意が、である。
ネットの辞書によると、
――冒険、とくに恋の冒険――
とある。
フランス語だ。
(なるほどね)
と思う。
*
恋は、いつであっても冒険だ。
冒険的でない恋など、恋ではない。
が――
恋の冒険性は一様ではない。
冒険的な恋と、そうでない恋とがある。
思うに――
冒険的な恋というのは、さほどには切実性のない恋だ。
例えば、男の立場でいえば、
――手を出しても出さなくても、どっちでもいい娘(こ)なんだけども、まあ、せっかくだから……。
といった感じである。
おそらく――
こういうのが、冒険的な恋――つまり、アバンチュール――である。
僕は、十代以降――
そういう恋を毛嫌いしてきた。
将来のことを思わずに、ただ、その場その時の衝動に身を任せるような恋は、節度ある人間のすることではない――
そう考えていた。
今でも基本的な考えは変わらない――
が――
そのように、いつまでも堅く考えていて、よいものか。
人間――
いつかは死ぬ身である。
その死が訪れる――その前に――
あえて刹那的な恋に突っ走るということも、実は、そんなに悪いことではないのではないか。
むしろ、人間らしい逸脱といえるかもしれない。
いや――
「人間らしい」というよりは「動物らしい」というべきか。
「動物らしい」では身も蓋もない。
せめて「生命らしい」と言い換えておこう。
人間の理性とは無縁の尺度で測られる価値観である。
もちろん――
そういう恋は、愛のない恋だ。
少なくとも、真の愛ではない。
愛のない恋は、無意味かもしれない。
が、無価値ではない。