二十代の頃は、宗教の眉唾なところが、どうにも許せなかった。
――全知全能なる神は――
とか、
――天地創造の頃より――
とかいった言い回しは、ただただ不快な定型句にすぎなかった。
(「全知全能」って、「何者かが、たしかに全知全能である」ってことは、どうやって証明すんだよ!)
とか、
(「何者かによって、たしかに天地が創造された」ってことの証拠が、どこかに転がっているのかよ!)
とかいったように――
すぐに負の感情を吐き出してしまいそうな心境に陥った。
(そんなの、ウソに決まってんじゃんか!)
ということである。
が――
それで、いい。
宗教とは、本来、そういうものである。
人は虚偽で救われる。
真実であってはダメなのだ。
真実は絶望をもたらす。
おそらく――
ウソだけが、最も確実に、人を救うことができる。
宗教の目的は、救済だ。
救済にはウソが必須である。
真実は、むしろ害悪だ。
そもそも――
人が救済されるという事象自体が、ウソに違いない。
真実は、政治にこそ求められる。
よって――
政治は、人を時に絶望の淵に突き落とす。
政治と宗教とを混同させてはならない。