マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「脱真実」も悪くないけれど


 という言葉が――
 すっかり定着しました。

 イギリスのオックスフォード大学出版局が毎年11月に流行語“ワード・オブ・ザ・イヤー(Word of the year)”を発表しています。
 2016年のワード・オブ・ザ・イヤーが「post-truth」です。

 意味は――
 オックスフォード大学出版局の辞書によると、

 ――Relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public
opinion than appeals to emotion and personal belief

 意訳すると、

 ――民意の形成に際し、客観的な事実が感情や個人的な信条よりも軽くみられている

 といった感じでしょうか。

 この「post-truth」――
 純然たる日本語に置き換える場合は、

 ――脱真実

 が用いられるよう。

 たしかに、悪くない訳語ですが――

 僕は――
 直訳で、

 ――後真実

 がよいと思っています。

 読み方は、「こうしんじつ」です。

 こんな日本語、ありませんが――

 もともとがイギリスの新語(英語圏の新語)ですから――
 その訳語も新奇でよいと思います。

 ……

 ……

 なぜ「脱真実」よりも「後真実」がよいのかというと――

 僕は、この「post-truth」という言葉に可能性をみたいのです。

 この言葉は――
 今でこそ、前述のように否定的なニュアンスでしか用いられませんが――

 そのうちに――
 もっと肯定的なニュアンスで用いられる日が来るのではないか、と――
 僕は思っています。

 ……

 ……

 誤解の内容に申し述べますと――

 僕は――
 感情よりも理屈が――
 個人的な信条よりも世間で幅広く受け入れられている信条が――
 少なくとも民意の形成に際しては――
 重くみられるべきだ、と――
 思っています。

 事実に基づき、論理を組み立てるという思考の基本を――
 僕は重視しています。

 事実は大事です。

 論理も大事です。

 が、「真実」となると、話は別です。

 何が真実かなど――
 全知全能でない人間には、絶対に決められません。

 現世の真実の多くは、後世の真実ではありえません。

 今、真実と思われることを――
 ひとまずは「真実」と仮定した上で――
 今、何をなすべきなのか――

 その「真実」が真実でなかったとしても――
 なお意義や価値の見出しうる行為や営為とは何か――

 それを知的誠実さに基づき模索し続ける姿勢もまた、

 ――post-truth

 と呼ばれうるのではないか――

 そう僕は思っているのです。

 そう遠くはない将来に――
 この言葉が奥ゆかしく光り輝いていることを――
 僕は密かに願っています。