少年が冒険に出る物語は嫌いである。
そういう物語が、さも定番然として、世間に広く受け入れられている現状にも、辟易としている。
だからといって、どうということではないけれど――
どうせ、人の好みは、それぞれである。
*
僕が、冒険に出る少年の物語を嫌うのは、第一に、
(そんな物語は平凡じゃないか!)
ということである。
虚構の世界の少年は、なぜか、いつも冒険に出たがる。
現実の世界にも、そういう少年が全くいないわけではないので――
たぶん、そういうところが反映され、冒険に出る少年の物語ばかりが紡がれることになるのであろう。
僕が、冒険に出る少年の物語を嫌うのは、
――平凡だから――
という理由だけではない。
――無意味だから――
でもある。
現実の世界は甘くはない。
ハッキリいおう。
少年は冒険には出ないほうがよいのである。
せいぜい、お遊びの冒険をチョクチョクと繰り返すくらいが、ちょうどよい。
少年は、知力も体力も不十分だ。
そんな状態で、一世一代の大バクチを打つのは、バカげている。
冒険は、大人の男がするものである――
知力も体力も十分に備わった大人の男が、である。
未熟な少年の出る幕ではない。
では――
少女だったなら、よいのか。
よい。
現実の世界の少女は、通常、冒険には出たがらない。
少なくとも、少年よりも有意に出たがる、ということはない。
そして、より重要なことは――
大人の女は冒険には出たがらない、という経験則である。
大人の男に比べれば、遥かに出たらがらない。
だから――
少女が、大人の女になる――その前に、冒険に出る――
それだけで、十分に華となる。
虚構の世界にふさわしい事象となる。