マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本語の洗練の証

 日本語の特徴は、何であろう?

 しばしば指摘されることは、主語が省略されるということである。
 例えば、日本の中学1年生が、

 ―― I have a pen.

 といった英文を訳させられるときに、

 ――私はペンを持っています。

 が正解だと知らされて、一瞬、首を傾げることがある。
「私はペンを持っています」という日本語に、違和感を覚えるからだ。

 たしかに、よくよく思い返してみると――
「私はペンを持っています」という日本語を使う機会は、ほとんどない。

 例えば、ペンしか持っていないときに、「鉛筆を持ってますか?」と訊かれて、「ペンを持っています」と答えることはあっても、「私はペンを持っています」とは答えない。

 違和感の根源は「私は」にある。

 英語では事情が異なる。
 例えば、「Do you have a pencil?」と訊かれて、「 I have a pen」と答えるのは、ありだ。
 僕は英語を母語とするわけではないが、この場合の「I have a pen」は、さほど不自然ではなかろう。
 英語では、こういうやりとりでも、主語が省略されることはない。

 このことに一旦、気づいてしまうと――
 英語を話していて、いちいち主語に言及するのが煩わしく感じられるときがある。

(うるせえな、主語は「I」に決まってるだろ!)
 などと叫び出したくなる。

 日本語では、主語に言及するのは野暮の極みである。
 例えば、作文などで、「僕は」とか「私は」とかを連発すると、途端、子供っぽい印象を与える。

 日本語では、主語の省略こそが洗練の証だ。