ここ数日の『道草日記』で、
――美女
とか、
――美少女
とか、
――美人
とかいったことについて、あれこれと論じてきた。
が――
これら議論は、すべて僕の主観を経た議論であり、とくに普遍的なものとは思わない。
多くの女性にとって、「美女」や「美少女」や「美人」は、もっと違ったものであろうし――
僕以外の男性にとっても、僕とは違った見方になじみやすいということが、少なからずあろう。
一般に、諸種の議論が導く結論に普遍的な価値を求めるならば、最終的には、自然科学的手法へ立ち行かねばならない。
すなわち、実験や観察を繰り返し、それらの結果を踏まえて幾重にも討論を重ね、仮説の妥当性を見当していく、というプロセスである。
もちろん――
まともな感性の持ち主ならば――
「美女」や「美少女」や「美人」をテーマに、実験や観察を繰り返すなどは、異様にアホらしく――
とても真面目にやっていられるものではあるまい。
だからこそ――
こうした議論は、一人の人間の主観に基づき、恣意的に展開されるほうがよい。
そのほうが、議論が俄然、面白くなるのである。
そもそも、「美女」とか「美少女」とか「美人」とかいった観念は――
一人の人間が――あるいは、一人の男が――
ほんのヒマつぶし程度に弄ぶのがよい。
他者との議論は、さしたる利益をもたらさぬであろう。